f:Naohito Murase 的直播

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Naohito Murase @f:100003194000826
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【私のミッション(使命)】

村瀬なおひとは、
魅力的なサービス・商品を提供しているにも関わらず
売上が伸びずに悩んでいる社長に、
コンサルティング及びセミナーを通じて、
経営コンサルタントとしての様々な売上構築ノウハウに加え
サービス・商品に対して精度の高い「言葉化作業」を実施し、
その存在意義と新たな「価値」を与え・高め・伝えて
差別化をはかることで売上アップに寄与します。
そして、司法書士としての法律活用力、社長の隠れた想いを聞き出す傾聴力、多彩な表現力を駆使して社長の想いを形にした
会社とお客様を固く結びつける「経営理念」を策定することで
会社を百年企業へと成長させることを使命とします。
また、会社の登記などにとどまらず、最新の法律知識や情報の取捨選択を行いながら経営基盤をより強固にするための最適な提案をすると共に
社長の「未来への想い」を余すことなく大切なご家族へ確実に伝えることができる遺言書作成支援を行うことで、社長・ご家族・会社に対しての万全のサポートを約束いたします。

【私のバリュー(大切にする価値観)】

1 信頼

2 安心

3 言葉化

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「相談してほんとうに良かったです!」
お客様からそのお言葉をいただくために仕事をしています。

「何か人の役にたつ仕事に就きたい」
幼いことから漠然と考えていました。小学1年生の時にある病気を患い、名古屋の病院、東京の病院への検査入院、手術をなんども繰り返しました。
医師をはじめ多くの医療関係者が私の周りにはいましたので、自然と「医師になろう」という思いが芽生えました。
高校1年くらいまでは真剣に医師の道を考えていましたが、悲しいかな「理数系」の勉強がサッパリできません。
高校2年の文系理系のコース選択を契機に医師は諦めました。

文系コースを選んだときから「法律」という言葉がチラチラ頭をよぎるようになります。
が、大して成績が良いわけではなく、あっさり大学受験に失敗し「河合塾準大学」に入学

準大学で「基礎の大切さ」を学び、関西大学、関西学院大学は余裕で合格したものの、同志社大学は運良く第一志望の「法学部」に合格。
関西の大学を志望したのは「(自分が)面白くなれそうだから」

京都での一人暮らしを経験し「親の有難み」と「料理することの楽しさ」を感じる。
京都の錦市場付近にあった、某LECという資格試験予備校の「司法書士の平均年収1000万円」という安易なコピーにひかれ、安易に司法書士を目指すことに。
年収2000万円と年収0円の司法書士が2人いれば「平均年収1000万円」と気づくのは、ずっと後のこと。

ダラダラと勉強しても身につくわけでもなく、大学4年を間近になり「就職しようかな」と母親に話したところ、「あんた、サラリーマンなんかになるの?」と呆れられあっさり就職を断念。
そういえば「人に雇われるのはつまらない人生」といつも言われていたような。
定職にもつかず「行政書士資格」は取得したものの、勉強していることで安心をし、やっと拾ってもらった某司法書士事務所もわずか3ヶ月で「クビ」に。

年末28日の寒空に放りだされ、復讐心に燃え平成14年3月14日に行政書士事務所開設。同年10月には「司法書士資格」も取得。
司法書士有資格者は、通常「無給のインターン期間と司法書士事務所での下働き」を経験後独立しますが、「タダ働きやってらんねえ」と平成15年1月に開業。
開業したものの「登記の仕事を沢山する司法書士が偉い」という業界に馴染めず、どうやったら「人助け」が出来るのかを模索

愛知県司法書士会の若手の会「昭和会」の忘年会にて、伊藤司法書士から「クレサラに興味ない?」と聞かれるも「興味なし」と即答。
ただ、「多重債務に悩む方が非常に多く、(仕事を)受けきれない」と聞かされ、少しでもお役にたてるならと「多重債務問題」に関わるようになる。
多重債務問題に真摯に取り組む「渡邉真弓」先生の執務姿勢に感銘を受け、今でも先生の執務姿勢は私の目標となる。

平成16年、中越地震後の新潟県小千谷市へ被災地相談員として派遣されるも、自分の無力さを痛感。

平成18年、どんどん「アホ」になっていく自分に気づき、勉強するために何となく「名城大学法科大学院(ロースクール)」に入学。
なまじっか実務が分かるため、教授の弁護士と言い合いになることもしばしば。良い思い出。
平成22年、ロースクール卒業で「新司法試験受験資格」を得たが、受験時期は未定。

平成23年8月、口数少なく不器用ながらもダメな息子を許してくれた父親を亡くす
平成23年9月、岩手県陸前高田市に愛知県司法書士会から「被災地相談員」として派遣され、岩手県民の温かさひたむきさに心打たれる。
このころから、「人生」「死」について深く考えるようになる。

「人はいつか死ぬから好きに生きよう」と決意

平成23年11月、何か変えねばと思っていたところ「白メガネのお兄さん(柳生雄寛氏)」から「サムライコンサル塾」の営業FAXが届く。
柳生氏のセミナー後の懇親会で「フェイスブック」を勧められ、試したところ体調を崩すくらい劇的に生活が変わる。

末平新氏から「フェイスブックの文化」を説かれ、自分の思考も前向きに。

「法律知識と聴く力を駆使して、あなたの未来への想いをくみとり、大切なご家族へ結び伝える結言コンサルタント」

「尽きることのない発想力と卓越した文章力で、お客様に深く突き刺さり、御社が百年企業に成長する理念を創造し、売上UPに貢献する企業理念コンサルタント」

としても活動中

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蒸留酒以外の酒と海老とアボカドを和えたおつまみが好き。

推しメンは「篠田麻里子」
AKBは前向きな曲が多いのでオススメです。