EVENT 映画▶アーカイブ公開中▶🎬ソロモンの偽証 前篇・事件 EVENT 5/31(金) 21:30〜▶🎬ソロモンの偽証 後篇・裁判 無料放送!

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僕は現在、東京都内を中心に友達や先輩・後輩に
囲まれながら音楽活動をしています。
まだまだ駆け出しですが日々成長した姿を皆さんに見て
頂きたいため、これからも頑張ります。

音楽を始めたことで出会えた仲間はたくさんいます。
逆に音楽を始めなければこれだけ多くの仲間とは
出会わなかったことだと思います。

あまり自分の過去について話すのは好きではありませんが、
今まで関わってくれた方やこれから関わってくれる方に
対して少しでも僕のことを知ってもらえたらと
思い書いてみました。


僕は、九州の宮崎県延岡市というところのごく普通の
家庭に生まれました。
小さい頃から父親の影響を受け野球と触れていました。

小学校に入る前からずっと野球が好きでしたが、
家庭の事情もあり本格的に野球を始めたのは小学校
3年生の夏でした。

中学校では学校の部活ではなく、
クラブチームに所属し九州大会や全国大会など3年間
でいろいろなところに試合をしに行くことが出来ました。

これも自分一人だけではなくチームの仲間や、スタッフ、
そして保護者会の支えがあったからだと思っています。


小学校の野球チームに入部した頃からピッチャーとして
試合に出せてもらい、中学2年の秋までは本気で
プロ野球選手を目指すために野球に取り組み、
強豪校に進学できるようにと練習や試合に励みました。


中学校2年生の秋。沖縄県で行われた九州大会に出場し、
その大会では翌年の夏にボーイズリーグ日本代表の
エースとして選抜されたピッチャーを有するチームとあたり、
接戦の末一回戦敗退という結果に終わりました。

その試合でも僕は7イニング投げさせてもらいピッチャー
として出場していました。

その大会が終わりチームは1週間のオフとなりました。
その1週間でなにをやっていたかは覚えていませんが、
野球からは離れていたと思います。

そのオフが明け、再びチームは冬場のトレーニング
期間へと入りました。久しぶりにボールを握り、
チームメイトとキャッチボールをしていたら、自分の
投げ方に大しての違和感を感じました。

それまではコーチ・監督にも「投げ方はキレイだ」と
評価されていまいたが、その時ばかりは何かが違いました。
何球投げてもしっくり来ない。
しかしその時はあまり気にしていませんでした。

冬が明け、中学校3年生の春。
野球部の有名な強豪校へ行くための大事な年。

その時もピッチャーとして高校進学するつもりでしたが、
2年生の秋に感じた投げ方に関する違和感は
春になっても変わっていませんでした。
それどころか悪化していました。

結局中学3年生のシーズンはピッチャーよりも外野手
としての出場機会が多かったです。

全試合を終了し進学先を決める段階で、同じ地元の
私立高校から特待生徒での話は来ていました。

しかし、それまでピッチャー一筋で野球をしてきた
僕はうまく投げることができなくなった以上
野球をするつもりはありませんでした。

結局は親や友達から「高校までは野球をしてみたら?」
と説得もあり地元の私立高校への進学を決めました。

高校に入学してからもピッチャーとして試合に出場
したかったのですが、監督や部長から
「足が早いから外野手で」と言われ、3年間外野手
での出場でした。

高校時代は時に輝かしい結果を残すこともなく終わりました。

夏の大会が終わり次の進路を選択しなければ行けない中、
僕は高校2年生の頃から看護師になりたいという思いが
ありました。

当時は両親は離婚し母親と兄妹3人で生活をしていました。
母親が看護師をしており、子ども3人を女手一つで
育てる背中を見て、この仕事なら将来安定した生活を
送れるのではないかと思い看護学校へ進学しました。


19歳の夏。もともとEXILEファンだった兄の影響もあり、
兄・妹・当時付き合っていた彼女の4人で初めての
LIVEに行くことになりました。

今思うと、これが今音楽活動をしている僕にとっての
出逢いだったと思います。
初めてのLIVEで好きなアーティストが間近にいる。

それだけで感動し、感極まるものばかり、
興奮冷めやまぬままLIVEは終わりました。

それから毎年のようにEXILEのLIVEに参戦する
ようになり、20歳の冬には一人で札幌ドームまで
一人でLIVEに行ったこともありました。

EXILEのLIVEに参戦することで全国各地で同じように
熱くなれるファンの方々と出逢うことも出来ました。

そして、21歳の春。看護師の専門学校生活も残す
ところあとわずか。
およそ半年間にわたる実習を乗り越えれば国家試験
を受けるのみ。

しかし、看護学生として実習をしている僕にとって、
いつも心のどこかで「EXILEみたいな人に夢や
感動を与えられる歌手になりたい」その気持ちが
ありました。

ある日、いてもたってもいられなくなった僕は
学校をやめて東京で歌手を目指そうと決め、
学校と親に連絡をしました。

当時もちろん反対され、資格を取ってからでも遅くは
ないんじゃないかと説得されました。
それ以降、実習を重ねる僕は看護して働く自分の姿が
想像できなくなりいつも音楽のことで頭がいっぱいでした。

夏休みには東京へオーディションを受けに行ったり、
いろいろな事務所に履歴書を送ったりしていました。

そして、本当にギリギリで(国家試験の翌日も
再実習をしてました)合格することができ、
22歳の春に念願の東京へ上京を果たしました。

上京した僕はすぐに音楽活動ができるようにと
所属できる事務所を探しました。

それから約半年。現在は月に3〜4回のペースで
LIVE活動をさせてもらい、オリジナル楽曲制作へ
向けての準備中です。

事務所に所属すると言っても、すべて面倒を
見てくれているわけではないので自分から主体的に
行動し、自分のことを一人でも多くの人に
知ってもらえるような活動をしなければいけません。


あの時LIVEに行かないかと誘ってくれた兄。
ここまで女手一つで育ててくれた母親。
その他、今までの僕を応援してくださった方々。

そしてこれから僕と出逢ってくださる方々。
今でも、これからも本当に多くの方々に
支えられながら活動をしていくのだと思っています。

あの時、本気でプロ野球選手を目指していた自分も、
看護師としての姿を想像していた自分も、
これからの自分のために必要不可欠だった
時間だと思います。


すべてが順調に進んで来たわけではありません。
今でも試行錯誤しながら日々活動しています。

決して今の活動に満足しているわけではありません。
しかし、こうやって音楽を通じていろいろな方に
出会えたことは本当に幸せです。
一生の財産だと思います。


長々とした自己紹介ではありましたが、
これを読んでくださったあなたが幸せに
ならないはずがありません。

僕と同じような境遇の方に少しでもチカラを
与えることが出来たら幸いです。

さあ、あなたが幸せを手に入れる番ですよ。