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f:Setsuo Seki キャス

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魂の短歌を詠んでる短歌アーティストでもあり、メンタル・デザインをするココロニストです。
企業数社でWEBマーケティング、WEBライティングの顧問でもある。
「関 節夫・短歌スピリットコンサ
ート」やメルマガ「関節夫の言ノ葉ビタミン」を発信。かわさきFM・
関節夫ビタミンラヂオ「ココトバWAVE」のパーソナリティでもあります。
心理学専門校で臨床心理士、心理カウンセラーの養成のための講師をしている。コピーライター、ライター養成講座の講師でもある。
すべては、心理学が原点になっている。
モデル、俳優でもある。

関 節夫facebook(ファンページ)

www.facebook.com/sekisetsuo.cocotobacafe

<バックグラウンド>
中学生時代より、国文学者で教授だった父親の影響を受け詩や短歌の創作を始める。この時代はもっぱら詩作をしながら、小説などを書いて過ごしていた。高校生になると父親の万葉集、古今集、新古今集などを読みあさり、また担任の教師が歌人であり、本格的に短歌の作詠を始める。同級生と文芸同人誌を創り短歌、詩、小説などを投稿する。ニーチェ、ゲーテなど哲学書などや石川啄木に影響される。高校時代に演劇部に所属して、全国高校演劇コンクールに出場する。
大学時代に社会心理学を専攻して、社会が人間に精神的に及ぼす影響を研究する。卒論に、太宰治などの文学者の作品から演歌の歌詞などを分析した「現代日本の精神構造」を書く。劇団に所属して役者や演出をこなし全国を公演してまわり、舞台俳優を志すが役者で食べていけないと断念して、大学卒業後、大手広告会社のコピーライターとなる。コピーライター、CMプランナーとしてTOYOTA、HONDA、MAZDAなどクルマ関連やSONY、日本IBM、NECなどのコンピュター関連、資生堂、マックス・ファクター、P&Gなどのコスメティック関連など一流クライアントのキャンペーンを手がける。
SONYを手掛けていた影響で作詞家としてもデビュー。第14回作詞コンクールで最優秀新人賞を獲得する。

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【関 節夫は30歳で一度死に、そして蘇りました】
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そして、30歳の働き盛りにコピーライターの連日徹夜が続くというハードスケジュールがこうじて心臓発作により会社で倒れ救急車で病院に搬送されて、CCUで一週間生死を彷徨いながらも奇跡的に「生還」を果たした。
しかし、また再発するのではないかという不安から、ひとりで家にいることが出来ず、また電車など公共の交通機関に乗ることも出来ない不安神経症・パニック
障害に陥り、精神科から精神安定剤や抗うつ剤などを処方されるが、薬を拒否して、
心理学や聖書、禅や哲学書から薬に頼らず自分自身の思考の転換から完治させた経験を持つ。元巨人軍の監督だった川上哲治氏が修行をした禅寺にも座禅を組みに行ったこともあった。そもそも、大学で心理学を専攻していたのが効を奏したと思っている。
こうした薬に頼ることなく心の病を克服したことから、一切、薬に頼らないメンタルデザインという新しいメンタルのジャンルを切り拓き、現在はうつ病やパニック障害の方々の心のケアをしている。
その原点になっているのが、人間は「動植物の自然のリズム」すなわち「自然律に倣う」ことをベースにしている。
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【関 節夫の路上からの脱出。ネバーギブアップの精神】
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さらに、関 節夫のネバー・ギブ・アップの精神は、フリーランスのコピーライターになってから、自分の会社を設立して最初は順調に業績を伸ばしていた。毎晩、六本木の高級クラブで一晩に200万円ぐらいバラまいていた。ある時、500万円の準備金を出せば5億円のベンチャー資金を得られるという詐欺師に騙され、会社を閉じることになって、離婚をして家を手放してホームレスというどん底に落ちたのである。
新宿駅のコンコースで寝泊りをしていたが、これではダメになると考え、とにかく住む場所を確保しないと住所不定では再就職も出来ないと、以前に通っていたクリスチャンの教会の門を叩き、牧師夫婦の好意で倉庫の一部屋を借り、夕飯とお風呂だけは提供をしていただけるようになった。その教会の倉庫部屋から日銭を稼ぐために建築現場や銀座のクラブのホステスさんの送迎のドライバーなどあらゆる仕事した。この時につくづくクリスチャンで良かったと実感する。
その時に、ホームレスをしていた頃に、24時間営業のマクドナルドで100円バーガーを食べながら、牛丼屋の箸袋やマックのレシートにしたためた短歌を原稿用紙にまとめて出版社に送り、運よくアートンという出版社の編集長が会いたいという連絡があり、歌集の出版にこぎつけることができた。それが、お父さんの応援歌集『たそがれはまだ早い』である。この編集長は在日の人であったが、自分も会社を倒産させた経験があり、わたしの立場を理解してくれたのであった。そして、有難いことに初版の印税を先払いしていただいたことにある。出版が決まると、朝日新聞、東京新聞、日経新聞、NHK、TBSなどがこぞって「ホームレス歌人」として取材を受け拙書『たそがれはまだ早い』の記事を大々的に掲載してくれた。そのお陰もあり、歌集としては異例のベストセラーになった。
ここから、わたしくし関 節夫の再生が不死鳥のごとく始まったのであった。
【関 節夫にとって短歌は魂の叫びであり「祈り」である】
この経験から得たものは、その後のわたしくしの短歌にも詠んでいるのであるが、「どん底に落ちても、またそこから掘ればいい」であり、「傷を負った人間ほど優しくなれる」である。そして、わたくしにとって、短歌を詠むことは魂の叫びであり「祈り」であることを会得したのであった。さらに、わたくしが現在の仕事を始める契機となったのは拙書『たそがれはまだ早い』を購入して読んでいただいた福岡県博多に住んでいた同世代の男性が、わたくしの短歌で自殺をすることを思いとどまってくれたことでした。その男性からの感謝の手紙が出版社に届いたのです。わたくしなどの短歌がひとりの人間の「いのち」を救ったことは、最上の喜びでありました。この時から短歌セラピーによるメンタルデザインを考え出したと云えます。
現在、わたしくしがしている短歌アーティストとして、こころの病の方や障害者の方々に発信している、心からの言葉である「ココトバ・ビタミン」や「こころの処方箋」などのメンタルデザインのセラピーは、すべて関 節夫の実体験の経験から得たものの反映なのである。
これらの経験、体験から得たものは、「他人への思いやり」であり「優しさ」という、生きることは自分ひとりではなく支えあう「愛」であることを痛感したことである。いまは、私が得た皆さまからの「愛」の恩返しを死するまで続けてゆきたいと願っているのである。
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短歌を武器に、映像、イラストレーション、音楽などとのコラボレーションで常に時代を見据え、メンタルデザイナーとして「魂のメッセージ」を発信している。特に、団塊の世代への応援歌を始め、ニート、ひきこもり、うつ病、リスト・カットから乳がんや脳性マヒの難病の方々に「言ノ葉ビタミン」を送っている。佐々木幸綱に師事して短歌結社「心の花」会員を経て、現在、短歌結社「短歌人」会員。多摩学友協会会員。バリトンの声楽を二期会会員・古澤利人氏に師事。
2000年9月より「関節夫・短歌スピリットコンサート」を開始して、2015年で開催15周年を迎える。
2004年には東京都青梅市の築100年の茅葺き家屋でコンサートを開催して、山の中にも関わらず200名の動員をして、マスコミでも話題となる。2007年、NHK「ニュース9」で「関節夫・短歌スピリットコンサート」が癒しと元気の素を与えるコンサートとして全国ネットでライブや取材が放映される。
■出版
2000年 写歌集「恋 時」(文芸社)
2004年 歌集「たそがれはまだ早い」~お父さんの応援短歌~(アートン)
2007年 歌集「まなうら」(美研インターナショナル)
■雑誌
2007年 「サンデー毎日」グラビア特集で短歌とイラストのコラボを連載
2006年 1年間、月間「労働レーダー」にコラムと短歌を連載。
2014年 月間総合雑誌「一個人」で連載執筆。
■テレビ出演
2004年 NHK「特報・首都圏」に出演。
2005年 TBS「ドキュメント・ナウ」で関節夫の活動と半生が放映される。
2007年 NHK「ニュース9」でライブ・インタビューが全国に放映されて 話題 を呼ぶ。
■CM出演
2006年 サントリー「ロイヤルウイスキー」CMにモデル出演、他テレビ CMにも出演。
■映画出演
2009年 東宝映画・宮部みゆき原作「クロスファイヤー」編集長役

テレビドラマにも俳優として出演。